大内宿の案内
国指定  重要伝統的建造物群保存地区に指定
大内宿の写真
 
大内宿ができたのは、徳川幕府の権威が確立してからで、おそらく保科正之が会津に封じられてからであろうとされています。
大内宿は、南東450メートルの街道を挟んで整然と軒を並べています。
全部で44戸ありますがこのうち31戸が江戸時代から明治にかけてたてられたものといわれ、
道路に面して茅葺きの半切り屋根、寄棟造りに統一されています。
水路をはさんで荷物を積みおろしするために広場があり、いかにも宿屋らしい風情があります。
江戸時代から大内は、長い間宿駅の収入と農林業によって山間の生活を支えてきました。
明治17年会津三方道路の一つ121号線に沿って新道路が開かれたことにより、
宿屋としての意味を失い以後大内は農業によって現代の命脈を保ってきました。
 
大内宿は会津と関東を結ぶ重要な会津西街道でかなり昔から人々の往来のあった所でした。
参勤交代の大名行列や旅人が旅の疲れをいやす所で明治17年、国道121号線の開通により、
宿屋の姿が消えていきました。
それから百数十年たった今も茅葺き屋敷の家並みに心打たれた大学教授が、全国的に紹介
一躍有名になったが休む所が無く、観光客に昔の宿場をもう一度と一番最初に民宿を始めたのが
昔の屋号そのままの大和屋です。